目次
- 中断前の箱根駅伝
- 1941年、道路使用の許可が下りず
- 回数と開催年のずれ
- 1943年の第22回大会
- 1947年、戦後の再開
- 戦後の中央大学時代
- 途切れた歴史が今に伝えるもの
100年を超える箱根駅伝の歴史には、大会が開かれなかった年があります。大会公式サイトによると、第2次世界大戦のため、1941年、1942年、1944年、1945年、1946年の5回は開催されていません。大会の回数と開催年が一致しないのはこのためです。この記事では、公式資料と歴代の優勝記録をもとに、中断から再開までの流れを整理します。
中断前の箱根駅伝
1920年に4校で始まった大会は、1930年代に入ると出場校も増え、強豪校の競り合いが見られるようになりました。日本テレビの歴代優勝校一覧によると、1930年代前半は早稲田大学が優勝を重ね、1935年から1938年までは日本大学が4連覇しています。1939年の第20回大会は専修大学、1940年の第21回大会は再び日本大学が制しました。
歴代の総合優勝校。第21回(1940年)と第22回(1943年)、第22回と第23回(1947年)の間に中止の年がある(日本テレビ「歴代優勝校」をもとにVoxlynest編集部作成)1941年、道路使用の許可が下りず
大会公式サイトは中断の理由について、1941年は日本、ドイツ、イタリアの三国同盟が成立した直後で、東海道と箱根の道が軍需物資の輸送に使われ、道路使用の許可が下りなかったと説明しています。戦火の拡大とともに、学生スポーツを楽しむ余裕もなくなっていきました。
箱根駅伝は公道を使う競技です。東京から箱根までの主要道路を長時間使うことができなければ、大会は成り立ちません。道路という社会の基盤の上に成り立つ大会であることが、戦時下ではそのまま開催の困難さにつながりました。
回数と開催年のずれ
中止された5回の影響で、大会の回数と開催年は単純には対応しません。1940年の第21回の次は1943年の第22回、その次は1947年の第23回です。記念大会として23校が出場した第100回大会は2024年の開催で、第1回から104年後でした。年表に並べると、1940年代前半の記録がほとんど空白になっていることがわかります。
主な出来事の年表。1943年の第22回大会と1947年の第23回大会の間に4年の空白がある(大会公式サイトほかをもとにVoxlynest編集部作成)1943年の第22回大会
1942年に続いて中止が見込まれる中、1943年には第22回大会が開催されています。日本テレビの歴代優勝校一覧によると、総合優勝は日本大学(13時間45分05秒)、往路優勝は慶應義塾大学、復路優勝は専修大学でした。この大会の開催経緯やコースの詳細については、当サイトでは一次資料を確認できていないため、記録のみを記載します。
日本テレビの一覧で戦前最後の数大会を並べると、1939年の専修大学、1940年と1943年の日本大学と、優勝校は年ごとに入れ替わっていました。日本大学は1935年からの4連覇と合わせて、戦前・戦中に計6回優勝しています。中断の前後で最も多く頂点に立ったのが日本大学だったことになります。
1947年、戦後の再開
その後、1944年から1946年まで3年続けて中止となり、大会が再開されたのは1947年の第23回大会でした。日本テレビの一覧によると、再開最初の大会を制したのは明治大学で、総合記録は14時間42分48秒。往路は明治大学、復路は慶應義塾大学が制しています。
再開最初の大会の記録は、中断前と比べて大きく遅くなっています。日本テレビの一覧によると、1938年に日本大学が出した優勝記録は12時間40分13秒、1940年は13時間12分27秒、1943年は13時間45分05秒でした。1947年の14時間42分48秒は、1938年の記録より2時間以上遅いことになります。コースの条件が同じだったかどうかは確認できていないため、数字の比較は目安にとどまります。
再開後の記録を見ると、1948年は中央大学が13時間21分10秒、1949年は明治大学が13時間36分11秒で優勝し、1950年代に入ると優勝記録は12時間台に入っていきます。道路事情や生活環境が戦後の混乱から立ち直っていく過程と、大会記録の短縮が重なって見えます。
1950年代の優勝校を見ると、中央大学が1950年、1951年、1953年、1955年、1956年に優勝し、その間を早稲田大学(1952年・1954年)と日本大学(1957年・1958年)が埋めています。優勝記録は1947年の14時間42分48秒から、6連覇の始まる1959年には12時間01分23秒となり、12年間で2時間41分25秒縮まりました。この間にコースや区間の距離がどう変わったかは当サイトでは確認できていないため、記録の推移のみを示します。
大会が途切れた5年間を経ても、たすきをつなぐという形は変わらずに受け継がれた(イラスト:Voxlynest編集部)戦後の中央大学時代
戦後の箱根駅伝で最初に一時代を築いたのが中央大学です。1948年の優勝を皮切りに、1950年代にかけて優勝を重ね、1959年から1964年には箱根駅伝史上最多となる6連覇を達成しました。通算14回の総合優勝は現在も最多です。
総合優勝の連覇記録(3連覇以上)。中央大学の6連覇が最長(日本テレビ「歴代優勝校」をもとにVoxlynest編集部作成)途切れた歴史が今に伝えるもの
1920年の第1回から2026年の第102回まで、大会は106年の間に102回開かれました。中止された5回の分だけ、回数と年数がずれています。毎年当たり前のように迎える正月の大会も、公道を使える社会の安定があってこそ成り立っていることを、この5年間の空白は示しています。