箱根駅伝 専門メディア第103回大会 2027年1月2日・3日

歴史

テレビ中継と新春の風物詩:箱根駅伝が正月の顔になるまで

山中の電波障害を越えて1987年に生中継が実現。平均視聴率の最高は32.1%。箱根駅伝が正月の風物詩になるまでをたどる。

目次
  1. 山の中の電波の壁
  2. 視聴率の記録
  3. 2月の午後から正月の朝へ
  4. 生中継とともに歩んだ時代
  5. 中継が映すもの
  6. 新聞社とともに始まった大会

1月2日と3日、多くの家庭で箱根駅伝の中継が流れます。いまでは正月の風物詩とされる箱根駅伝ですが、テレビで全区間が生中継されるようになったのは1987年のことです。この記事では、大会公式サイトなどの資料をもとに、テレビ中継の歩みと、箱根駅伝が正月の大会として定着するまでの流れを整理します。

高層ビル街のスタートゲートから一斉に走り出すランナーと沿道の観衆のイラスト
1月2日の朝、大手町から往路のスタートが切られる(イラスト:Voxlynest編集部)

山の中の電波の壁

大会公式サイトによると、テレビの生中継は長い間、箱根の山中の電波障害のために実現が困難でした。5区と6区は山あいの道を走るため、走る選手の映像を途切れずに送ることが難しかったのです。日本テレビは山中に無線基地を設置して電波を飛ばすことでこの問題を克服し、1987年から生中継が実現しました。

1987年は第63回大会にあたり、ちょうど順天堂大学が優勝した年です。1920年の第1回大会から数えて67年後のことでした。それまでの箱根駅伝は、新聞やラジオなどで伝えられる大会でした。第1回大会の様子は報知新聞が報じており、公式サイトには1920年2月15日付の紙面が紹介されています。

1912ストックホルム五輪金栗四三がマラソン代表として出場、途中棄権1917東海道駅伝京都三条大橋〜上野不忍池 約516km・23区間1920第1回大会四大校駅伝競走。東京高師が優勝1943第22回大会戦時下で開催1947第23回大会戦後の再開1987生中継開始日本テレビが全区間の生中継を実現2024第100回大会記念大会として23校が出場2026第102回大会青山学院大学が10時間37分34秒の大会新
1912ストックホルム五輪金栗四三がマラソン代表として出場、途中棄権1917東海道駅伝京都三条大橋〜上野不忍池 約516km・23区間1920第1回大会四大校駅伝競走。東京高師が優勝1943第22回大会戦時下で開催1947第23回大会戦後の再開1987生中継開始日本テレビが全区間の生中継を実現2024第100回大会記念大会として23校が出場2026第102回大会青山学院大学が10時間37分34秒の大会新
箱根駅伝の主な出来事。1987年の生中継開始は、第1回大会から67年後だった(大会公式サイトほかをもとにVoxlynest編集部作成)

視聴率の記録

公式サイトによると、生中継が始まって以来、箱根駅伝は20%を超える高い視聴率を記録してきました。平均視聴率の過去最高は2019年の第95回大会の復路で32.1%。瞬間視聴率では38%近くに達したこともあるといいます。公式サイトはこうした数字を挙げて、箱根駅伝を「お正月の風物詩」として紹介しています。

2019年の第95回大会は、東海大学が10時間52分09秒で初の総合優勝を果たした大会です。日本テレビの歴代優勝校一覧によると、この年は青山学院大学の連覇が4で止まった年でもありました。新たな優勝校が生まれた大会の復路が、平均視聴率の最高を記録したことになります。

2月の午後から正月の朝へ

箱根駅伝は最初から正月の大会だったわけではありません。読売新聞によると、第1回大会は1920年2月14日と15日に開かれ、長距離のトレーニング効果を考えて「厳寒か酷暑」が良いとされた結果、厳寒の2月が選ばれました。往路の14日は土曜日で、学生は午前中に講義を受けなければならなかったため、スタートは午後1時でした。5区では日が暮れ、青年団がたいまつで照らす中を選手が進んだと公式サイトは伝えています。

現在の大会は1月2日に往路、3日に復路が行われます。往路は大手町の読売新聞社前から芦ノ湖までの5区間107.5km、復路は芦ノ湖から大手町までの5区間109.6kmです。山上りの5区も、いまは日中に行われています。

往路 107.5km →← 復路 109.6km大手町1区/10区鶴見2区/9区戸塚3区/8区平塚4区/7区小田原5区/6区国道1号最高地点 約874m芦ノ湖※ 距離の比率・標高は概略
往路 107.5km →← 復路 109.6km大手町1区10区鶴見2区9区戸塚3区8区平塚4区7区小田原5・6区最高地点 約874m芦ノ湖※ 距離の比率・標高は概略
1月2日に往路、3日に復路を走る。(大会公式サイトをもとにVoxlynest編集部作成、距離の比率は概略)

生中継とともに歩んだ時代

日本テレビの歴代優勝校一覧によると、生中継が始まった1987年は順天堂大学が4連覇の2年目にあたる年でした。その後、1990年代には優勝校が分散し、2000年代には駒澤大学の4連覇、東洋大学の台頭、2015年以降は青山学院大学の時代と続きます。中継が始まってからの約40年で、総合優勝の記録は1987年前後の11時間台から、2026年の10時間37分34秒まで短縮されました。

冬の開催という条件は、第1回大会のころから変わっていません。朝日新聞によると、秋に行われる出雲駅伝は2026年から暑さ対策のためにスタート時刻を午後から午前に繰り上げました。真冬の箱根駅伝はこうした暑さの問題とは無縁ですが、山の区間では雪や寒さが選手を苦しめる課題となります。第1回大会の復路では、箱根が大雪に見舞われたことが記録に残っています。

中継が映すもの

テレビ中継は、走る選手だけでなく大会を支える人々の姿も伝えています。公式サイトによると、エントリーから漏れた部員の多くは付き添いとして選手の世話にあたり、中継所で倒れ込む選手を介抱する姿がテレビでよく映し出されます。関東学生陸上競技連盟の学生は、大会開始当初から運営の中心を担ってきました。

記録の面でも、中継は多くの場面を伝えてきました。2026年の第102回大会では、青山学院大学の黒田朝日選手が5区で首位と3分24秒差から逆転し、1時間07分16秒の区間新記録を出しました(日刊スポーツによる)。山の中の映像を送れなかった時代には、こうした逆転の瞬間を家庭で見ることはできませんでした。

2024第100回10:41:25青山学院大2025第101回10:41:19青山学院大−6秒2026第102回10:37:34青山学院大−225秒
2024第100回10:41:25青山学院大2025第101回10:41:19青山学院大−6秒2026第102回10:37:34青山学院大−225秒
第100回〜第102回の総合優勝記録。3大会続けて大会新記録が生まれた(公式記録をもとにVoxlynest編集部作成)

新聞社とともに始まった大会

箱根駅伝はもともと、報道機関と深い関わりを持って生まれた大会です。公式サイトによると、1917年の東海道駅伝は読売新聞社が上野で開いた博覧会の協賛行事として企画されました。第1回箱根駅伝の構想にあたって、金栗四三はまず報知新聞社の企画課長だった寺田瑛に協力を求めています。第1回大会のスタート地点は有楽町の報知新聞社前で、現在のスタート地点は大手町の読売新聞社前です。新聞からラジオ、テレビへと伝える手段が変わる中で、大会は多くの人に届けられてきました。テレビ中継を担う日本テレビは、番組公式サイトで第1回大会からの歴代優勝校の一覧も公開しており、当サイトも優勝回数の集計にこの一覧を用いています。生中継の開始から40年近くがたち、箱根駅伝はテレビとともに記録を積み重ねてきました。中継の映像が、選手の走りや大学の歩みを多くの人の記憶に残す役割を果たしてきたといえるでしょう。

参考資料

  1. 箱根駅伝とは(概要・歴史・豆知識)(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)
  2. 箱根駅伝第1回大会は「厳寒か酷暑か」で2月に開催、選手は講義を終えた午後にスタート(読売新聞オンライン)
  3. 歴代優勝校(日本テレビ 箱根駅伝番組公式サイト)
  4. 【箱根駅伝】青学大、大逆転の往路V「急造クライマー」5区黒田朝日が3分24秒差ひっくり返す(日刊スポーツ)
  5. コース紹介(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)

記録は大会公式サイト「過去の記録」に基づきます。

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