箱根駅伝 専門メディア第103回大会 2027年1月2日・3日

歴史

箱根から五輪へ:76人の代表と、金栗四三から続く系譜

1920年から2016年までに76人が五輪代表に。創設の動機そのものが五輪にあった箱根駅伝と、五輪の関わりをたどる。

目次
  1. 出発点はストックホルム
  2. 第1回大会の年に五輪へ
  3. 冬季五輪に出た箱根ランナー
  4. 早稲田の1区から3度の五輪へ:大迫傑選手
  5. 近年のマラソン代表
  6. 20kmという距離

箱根駅伝は、オリンピックと深い関わりを持って生まれた大会です。大会公式サイトによると、創設の原動力は「世界に通用するランナーを育成したい」という金栗四三らの思いでした。そして公式サイトは、1920年のアントワープ五輪から2016年のリオデジャネイロ五輪までに、箱根駅伝の出場経験者から76人が五輪代表になったと紹介しています。この記事では、箱根駅伝と五輪の関わりを、公式資料と報道をもとにたどります。

ビル街を背に、坂道を上る2人のランナーのイラスト
箱根駅伝は、五輪での挫折を出発点に生まれた(イラスト:Voxlynest編集部)

出発点はストックホルム

公式サイトによると、金栗四三は東京高等師範学校の学生だった1912年、日本が初めて参加したストックホルム五輪にマラソン代表として出場しました。しかし26.7km地点で意識を失って倒れ、途中棄権に終わります。世界との差を痛感したこの経験が、箱根駅伝を開催する大きなきっかけとなりました。公式サイトは、金栗が1967年に半世紀ぶりにストックホルムを訪れた際の写真も紹介しています。

1912ストックホルム五輪金栗四三がマラソン代表として出場、途中棄権1917東海道駅伝京都三条大橋〜上野不忍池 約516km・23区間1920第1回大会四大校駅伝競走。東京高師が優勝1943第22回大会戦時下で開催1947第23回大会戦後の再開1987生中継開始日本テレビが全区間の生中継を実現2024第100回大会記念大会として23校が出場2026第102回大会青山学院大学が10時間37分34秒の大会新
1912ストックホルム五輪金栗四三がマラソン代表として出場、途中棄権1917東海道駅伝京都三条大橋〜上野不忍池 約516km・23区間1920第1回大会四大校駅伝競走。東京高師が優勝1943第22回大会戦時下で開催1947第23回大会戦後の再開1987生中継開始日本テレビが全区間の生中継を実現2024第100回大会記念大会として23校が出場2026第102回大会青山学院大学が10時間37分34秒の大会新
1912年のストックホルム五輪から始まる年表。第1回箱根駅伝は8年後の1920年に開かれた(大会公式サイトほかをもとにVoxlynest編集部作成)

第1回大会の年に五輪へ

箱根駅伝が始まった1920年は、アントワープ五輪の年でもありました。公式サイトによると、この大会には東京高等師範学校の茂木善作選手ら4人がマラソンに出場しています。茂木選手は、同じ年の2月に行われた第1回箱根駅伝で最終10区を走り、明治大学を逆転して東京高師を初代の優勝校に導いた選手です。箱根駅伝の最初の大会で優勝のテープを切った選手が、その年のうちに五輪の舞台に立ったことになります。

冬季五輪に出た箱根ランナー

公式サイトが「異色」として紹介しているのが、早稲田大学の草創期に活躍した麻生武治選手です。麻生選手は1928年のサンモリッツ冬季五輪に、スキーのジャンプ、複合、クロスカントリーの代表として出場しました。箱根駅伝の出場経験者が、陸上競技ではなくスキーの代表として五輪に出た例です。76人の五輪代表には、こうした多様な経歴の選手も含まれています。

早稲田の1区から3度の五輪へ:大迫傑選手

近年の例では、早稲田大学出身の大迫傑選手がいます。Olympics.comのプロフィールによると、大迫選手は大学4年間を通じて三大駅伝すべてのメンバーに選ばれ、1年生で出場した2011年の箱根駅伝では1区で区間賞を獲得して総合優勝に貢献しました。この年度、早稲田大学は出雲、全日本、箱根の大学駅伝三冠を達成しています。

大迫選手は2016年のリオデジャネイロ五輪に10000mと5000mで出場し、2021年に開かれた東京2020五輪ではマラソンで6位に入賞しました。2023年10月のMGCでは3位となり、その後の選考レースで設定記録を上回る選手が出なかったため、3大会連続となるパリ2024五輪の代表に内定しています。

近年のマラソン代表

東京2020五輪のマラソン代表を決めた2019年のMGCで優勝したのは、駒澤大学出身の中村匠吾選手でした。週刊女性PRIMEのプロフィールによると、中村選手は箱根駅伝を3度走り、2年生で3区区間3位、3年生で1区区間2位、4年生で1区区間賞と、いずれも上位で走っています。

パリ2024五輪のマラソンでは、読売新聞によると、2023年10月のMGCで1位の小山直城選手と2位の赤﨑暁選手が代表に内定しました。小山選手は東京農業大学の出身で、大学としての出場はかなわなかったものの、2017年に関東学生連合の一員として箱根駅伝の4区を走っています。赤﨑選手は、日本陸上競技連盟のプロフィールによると拓殖大学の出身です。

往路 107.5km →← 復路 109.6km大手町1区/10区鶴見2区/9区戸塚3区/8区平塚4区/7区小田原5区/6区国道1号最高地点 約874m芦ノ湖※ 距離の比率・標高は概略
往路 107.5km →← 復路 109.6km大手町1区10区鶴見2区9区戸塚3区8区平塚4区7区小田原5・6区最高地点 約874m芦ノ湖※ 距離の比率・標高は概略
20km級の区間が10区間続く箱根駅伝のコース。マラソンの半分ほどの距離を各選手が走る(大会公式サイトをもとにVoxlynest編集部作成、距離の比率は概略)

小山選手は、連合チームで走った2年生のとき以外にも箱根駅伝に関わっていました。読売新聞によると、1年生と3年生のときは沿道の走路員を務め、4年生のときは連合チームのメンバーに選ばれた同期の付き添いを担当しています。連合チームで一緒に走った中央大学の堀尾謙介選手は、2019年の東京マラソンで日本勢最高の5位に入り、東京五輪の選考会であるMGCへの出場権を得ました。

なお、公式サイトが紹介する76人という数字は、2016年のリオデジャネイロ五輪までの集計です。大迫選手のリオ大会出場は含まれますが、中村選手、小山選手、赤﨑選手が出場した東京2020とパリ2024の代表は、この数字の集計時点の後になります。箱根駅伝の出場経験者から五輪代表が出る流れは、東京2020、パリ2024の両大会でも続きました。2023年のMGCで上位2人に入った小山選手と赤﨑選手のうち、少なくとも小山選手は、関東学生連合の一員として箱根を走った経験を持っています。

20kmという距離

箱根駅伝の各区間は20.8kmから23.1kmで、ハーフマラソンに近い距離です。読売新聞の区間記録ページによると、最も短いのは5区と6区の20.8km、最も長いのは2区と9区の23.1kmです。公式サイトは、第1回大会の頃は20kmを走れる選手を10人集めることすら難しかったと紹介しています。この距離を学生のうちに何度も走ることが、のちのマラソンへの土台になっていると見ることもできます。

中央大学14回早稲田大学13回日本大学12回順天堂大学11回日本体育大学10回青山学院大学9回駒澤大学8回明治大学7回東洋大学4回大東文化大学4回
中央大14回早稲田大13回日本大12回順天堂大11回日本体育大10回青山学院大9回駒澤大8回明治大7回東洋大4回大東文化大4回
大学別の総合優勝回数。五輪代表を出した大学は、優勝回数の多い大学に限らない(日本テレビ「歴代優勝校」をもとにVoxlynest編集部作成)

参考資料

  1. 箱根駅伝とは(概要・歴史・豆知識)(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)
  2. 大迫傑 プロフィール(Olympics.com)
  3. 東京五輪マラソン代表・中村匠吾「箱根駅伝で優勝できなかったのは心残り」(週刊女性PRIME)
  4. 小山直城・赤崎暁がパリ五輪代表内定、大迫傑はMGC3位(読売新聞オンライン)
  5. 東京農業大出身の小山直城、母校の「10年ぶり箱根路」励みにパリ五輪マラソンへ(読売新聞オンライン)
  6. 赤﨑 暁:パリ2024オリンピック(日本陸上競技連盟)
  7. 箱根駅伝 区間記録歴代ベスト5(読売新聞オンライン)

記録は大会公式サイト「過去の記録」に基づきます。

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