箱根駅伝の映像で最も印象に残る場面の一つが、中継所でたすきが次の走者に渡る瞬間です。1本のたすきを10人がつないで東京と箱根を往復するという形式は、第1回大会から100年以上変わっていません。この記事では、大会公式サイトなどの資料をもとに、「駅伝」という名称の由来、たすきをつなぐ形式が生まれた経緯、そして現在の大会でたすきの受け渡しを支えるルールや人々について整理します。
「駅伝」という名前の由来
大会公式サイトによると、「駅伝」という言葉のルーツは、奈良時代に中央と地方を結ぶ幹線道路に整備された「駅制」にあります。駅制では、幹線道を行き来する役人のために「駅馬」と「伝馬」が用意されていました。1917年に読売新聞社が日本で最初の駅伝を主催した際、神宮皇學館の武田千代三郎館長が、この駅馬と伝馬から着想を得て「駅伝」と名付けたといわれています。
馬を乗り継いで情報や物を運んだ古代の仕組みが、人が走ってたすきをつなぐ競技の名前になったことになります。区間ごとに走者が交代し、次の走者に引き継ぐという点で、駅制と駅伝の構造はよく似ています。
最初の駅伝は516km
その最初の駅伝が、1917年の「東京奠都五十年奉祝・東海道駅伝徒歩競走」です。公式サイトによると、京都・三条大橋から東京・上野不忍池までの約516kmを23区間に分け、関東と関西の2チームが3日間、昼夜を問わず走り継ぎました。読売新聞社が上野で開いた博覧会の協賛行事で、この大会の成功が箱根駅伝構想のきっかけとなりました。
3年後の1920年2月、早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、東京高等師範学校の4校による第1回大会が「四大校駅伝競走」の名称で始まりました。公式サイトは、当時は学生の数も少なく、20kmを走れる選手を10人集めることすら難しかったと紹介しています。たすきを最後までつなぐには、まず10人の走者をそろえなければなりませんでした。
5つの中継所
現在のコースでは、往路は大手町を出発して鶴見、戸塚、平塚、小田原の4つの中継所でたすきをつなぎ、芦ノ湖でゴールします。復路は芦ノ湖をスタートし、小田原、平塚、戸塚、鶴見の中継所を経て大手町に戻ります。往路と復路で同じ中継所を逆の順に通る構成です。公式サイトによると、往路は5区間107.5km、復路は5区間109.6kmで、合計217.1kmになります。
たすきをつなぐ10人の決まり
たすきを誰がどの区間でつなぐかには決まりがあります。公式サイトによると、各大学は12月29日に1区から10区までの10人と補欠6人を登録します。補欠の選手はレース開始1時間前の最終エントリーでどの区間にも入ることができますが、一度区間に登録された選手は、ほかの区間に入り直すことはできません。たすきの順番は、大会の数日前から段階的に決まっていく仕組みです。
1区間でも走者がたすきを渡せなければ、チームの記録は成立しません。中継所での数秒の差が、そのまま最終的な順位に響くこともあります。2025年の第101回大会では、総合8位から11位までの4校が10秒の中にひしめき、11位の順天堂大学は10位と7秒差でシード権を逃しました。
中継所で動いた勝負
たすきが渡る中継所は、順位の変化がはっきり記録される場所でもあります。第1回大会では、明治大学が最終中継所の鶴見まで首位を守りましたが、最終10区で東京高等師範学校の茂木善作選手が逆転し、東京高師が初代の優勝校となりました。2024年の第100回大会では、青山学院大学の黒田朝日選手が2区で9位から7人を抜き、戸塚中継所で首位の駒澤大学との差を22秒まで縮めました。そのたすきを受けた3区の太田蒼生選手が18km過ぎに抜け出し、平塚中継所にトップで飛び込んでいます。
2026年の第102回大会では、日刊スポーツによると、5区の黒田選手が首位と3分24秒差でたすきを受け、芦ノ湖までに逆転しました。中継所でたすきを受けた時点の差が、次の区間の走りで大きく覆ることもあります。逆に、受け取ったリードを次の走者が守り切ることで勝負が決まる場合もあります。
大学の枠を越えてつなぐたすき
たすきをつなぐのは同じ大学の選手だけではありません。公式サイトによると、関東学生連合チームは予選会を通過しなかった大学の記録上位者から1校1人までで編成され、記録は参考扱いとなります。所属の異なる10人が1本のたすきをつなぐチームも、箱根路を走っています。ただし、23校が出場した2024年の第100回記念大会では、関東学生連合は編成されませんでした(読売新聞による)。
中継所を支える人たち
たすきの受け渡しは走者だけのものではありません。公式サイトによると、エントリーから漏れた部員の多くは「付き添い」として、荷物の管理やマッサージ、体調の把握などを担います。テレビ中継では、中継所で倒れ込む選手を付き添いが介抱する姿がよく映し出されます。大会の運営自体も、関東学生陸上競技連盟の学生が大会開始当初から中心となって担ってきました。予選を通過できなかった大学の学生も、正月には補助員として大会に加わっています。
参考資料
- 箱根駅伝とは(概要・歴史・豆知識)(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)
- コース紹介(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)
- 過去の記録 大会詳細:第101回大会 2025年(東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト)
- 【箱根駅伝の歴史】箱根駅伝とは「なにもの」か(笹川スポーツ財団)
記録は大会公式サイト「過去の記録」に基づきます。